テレビと「一般人」
昔、テレビを見ていた時期にはニュースで「◯◯さんが一般人女性と結婚」みたいな表現を見て、なるほど芸能人とそれ以外とを隔てて「芸能人」と「一般人」とまとめているのか、とただただボーっと思っていた。
でも、「一般」って何なんだろうか。
表現として浸透しているから、「芸能人とそれ以外」を端的に示す表現としては現実解の1つだと理解できる。
が、テレビ業界は、
- 前に出ている(テレビ画面に出ている)職業の人
が居て、その職業の人を持ち上げるために「一般」と「特別」という中の「一般」をその職業以外の人をまとめて表現するときも用いているだけなんじゃないかと考えられる。
ということは結局、テレビ業界の意図としてテレビ業界が広告モデルで儲かるようにその職業の人を持ち上げて気持ちよくさせて儲けたい、という意図を反映するコトバとして「芸能人」と「一般人」の対比があるんじゃないかと。
「一般人」と対比すると、特別になったように感じさせるコトバとしての「芸能人」。
で、テレビに出ることが目標の人が発生し続けると、自分は特別でありたいしそれは認められてわかりやすく具現化されるべきと思う人はたくさんいるので。(私も経路や具現化の方法は少し違うが目立ちたがり屋なところがある。)
しかもメディアはメディアなので、世論扇動したりプロパガンダを打ったりということが出来てしまうので厄介。
別にテレビやテレビ業界に恨みとか無いが、構造的にはそんな感じなんじゃないかと。
この構造が真の場合、メディアがテレビ以外に分散化して、Youtubeや海外ニュース番組とかの裾野が日本国内でも広がることは望ましいことであると考えられる。
私が普段発信しているLinkedInも、どこまで行っても「Social Networking Service」であり、ポジショントークや意図やら人気投票やらが入り乱れていて、人間味が丸出しなカオスな感じが良いなと思っている。人が交わったり目につくところに誰かの投稿が見えるとSNSで発生しているようなことはほぼ例外なく発生するので。