最近のなかで悲しいと感じたこと
直近の私のLinkedIn投稿への他の人からのコメントで少し悲しいことがあったので、自己開示がてらにまとめてみる。
正直、読んでいて気分が良くなる人は少ないかと思うので、(いつも通りではあるがが) 読む or 読まないはお任せする。
直近のLinkedIn投稿において、「こういうコミュニケーションをする人とは関わりたくないし自分から離れるよ」という内容のことを発信した。
具体的には、真正面からのフィードバックや伝達や断りができない人とはもう関係がこじれているし、自分のありたい姿にそぐわないので損切りするよ、ということを書いて発信した。
その投稿にコメントしてもらった1つが写真1枚目。
写真の通り、主旨としては「日本人は真正面からではなく回り道して伝達するもの。それが大人のマナー。」とのこと。
そういう人とは関わらないよ、という主旨で私は発信したので、まあ私の発信が下手くそなのもあって伝わっていないなと思ったし、背景にある私の膨大な思考を結晶化させて言語化して発信していることにもその方の思考が回り切っていないんだなと。
それはそれとして、私として悲しかったのは少し別の点。
具体的には、コメントのなかの、
日本人に「忙しい」と2回目お返事されたら、それは「時間作るつもりはないです」の意味です。
の部分。前後の文脈を読み取った上で、上記について着目してほしい。
一部の方には伝わっているかと思うし、本ホームページの自己紹介にもLinkedInのヘッドラインにもプロフィールにも書いているのだが、私はインドと日本のハーフである。
でも、ハーフというよりはどちらかというと not japanese 的と言うか、パッと見では日本人ではないような容姿・顔をして生まれて育ってきた。
(少し話が広がるが)小学生の1年生のときに東京都中野区の上高田という地域から同じく中野区の沼袋という地域に引っ越し、その引っ越しに伴って転校した先の小学校では、1年生~5年生の間はハブられたりイジメられたりしていた。
ハブやイジメは激しいものではなかったが、そのときに思っていたことでいまでも明確に覚えていることがある。
「この容姿じゃなかったら、イジメられないのかな。。。」
そんなことを思っていたことをすごく覚えています。
「自分の意思で生まれてきたわけでもないのに、なんでイジメられなければいけないのかな、普通の日本人家庭に生まれていたらイジメられずに済むのかな。。。」
とか、
「日本人になりたい。。。日本人になってみたい。。。せめて顔だけでも。。。」
とか、そういったことを数え切れないくらい思っていた。
(いまは普通という概念が自分に無いが、その時は普通の日本人家庭というものがあると思っていた。)
ハーフだけど日本生まれ日本育ち、そして小学校の転校先でのイジメのことを上で書いたのは、写真1枚目のコメントとリンクしていて、ざっくりいうと、
「ランディフは日本人ではないから日本人とはどういうものか教えてやるよ」
ということを伝えようとしたのだと私は受け取ったためである。
こう受け取った自分としては、少し悲しかった。
日本で生まれ育ちたかったわけでもないし、日本で生まれたのは親の都合だし、そもそも生まれたのも親の都合やその周辺の都合だし、他の選択肢が見えにくかった自分としてはそのまま日本の東京のなかの小学校に行き、そこから中学校・高校・大学も日本のものに行った。行かせてもらった。
でもどこか感じている。
「自分は日本人なんだ」と。
そしてまた同時にどこかで感じている。
「自分は日本人ではないんだ」と。
中学・高校・大学でも、基本的に日本人・日本人の容姿の人に囲まれてきたので、そこで交流していると自分も日本人な気がしまいて、でも毎朝鏡で自分の顔を見ると思うのである、「やっぱり自分は日本人じゃないんだな」と。
この行き来をして20年くらい生きてきた。いや、今もその行き来はしているかもしれない。
正直、いまも自分が日本人なのか日本人じゃないのかはわからない。日本人という属性があるのかもわからない。
今は、「ランディフ」であることを選んでいます。
写真1枚目のコメントをもらったの自分の思い巡ったことは上記で、改めてコメントしてくれた方のヘッドライン、プロフィール、ご経歴・ご経験、ブログ、投稿などをじっくり見てみた。
東大卒、金融、コンサル、人材紹介、MBAなど、まあ聞いたことあるご経歴、思考傾向が全面に出ていた。
下の写真2枚目のヘッドラインのように、現在は一部のメディアやSNSにおいて、オピニオンリーダー的な活動やダイバーシティとかについて発信したりされている模様。
んーー、なるほど。
いわゆる「身銭を切らない」ことが癖付くとこうなるのかと。
下の写真3枚目の「女性という属性で語ることが既にダイバーシティではない」というタイトルのLinkedInブログを見た際には更にその傾向が強いなと感じた。
何度も書いているが、「身銭を切る」ことをせず、相手にいかにたくさんのリスクを取らせるかを必死に考えて仕事をするのがコンサルや金融である。
こう言ってしまうともちろん言い過ぎであるしそれは自覚しているが、ビジネスモデル的にはそういう構造に引っ張られやすく、実際にそうなっている部分が支配的な業種である。
これはいろいろな方を観察していて感じることだが、手を下さないけど目立ったり評価されると周りが更に持ち上げるようになり、しかも少し表現がわかりやすかったり学歴とか経歴が見たことがある企業ばかりがならんでいてメディア企業として取り上げる側も取り上げやすく、しかも日経xwomanで発信を求められたり(もしくは自分で売り込んだか)、LinkedIn Top Voicesに選出されたりといったかたちで発信自体を持ち上げてくれる存在があると、ついつい、「自分の発信は正しい!」という確証バイアスが生まれる。
それが具体的に観察できる事例が、上で取り上げた「女性という属性で語ることが既にダイバーシティではない」の記事である。
「じゃあ日本人という属性はどうなの?」とコメントを見ていて思うが、どうなんだろうか。
私は日本人ではない属性にその方からしたら分類されているのだろうか。
まあ、SNSなので、こういったこともあんだろうと想定していたし、実際に今回はコメントというカタチで表出した。
その反面、私の発信やコメントなどを通してステキな出会いがあったり、気持ちよく一緒に取り組める関係が築けたりと、私にとって良い面も提供してくれているのがLinkedInという場である。
そういった、傷つくことも悲しくなることも、自分で動いてこそのチャンスが作り出せるのも、LinkedInやSNS全般に言えることではないかなと考えていいる。
いろいろ書いていたが、こちらのように毎日ニヤニヤして生きている。
今後ともブログ発信やLinkedIn投稿は継続していくので、読者のみなさま引き続きよろしくお願い申し上げ候!