パートナーのタイプから、DAOまで
正社員として活動させてもらっていたころも思っていたし、期間を区切って現在のフリーランス的な動き方をしていても思っていて、今後どんな活動をするにしてもこう思うんだろうということがある。
それは、
「話を聞いてほしい人」
と
「一緒に活動したい人」
は、異なる場合があるということ。
私の友人で、おそらく日本のフリーランスのなかでは上位1%くらいの時給単価や収益を1人で作っている人が何人かいる。
そのうちの1人(Aさん)は、法人成りさせて、税金対策とかキャッシュフローコントロールとかをしていて、個人としてのビジョンと法人としてのビジョンとを少し表現を変えつつも、法人としてのビジョンの設計までは終えている状態を作っている。
言語化が難しいソフトな領域で、フリーランスとして日本でトップクラスの実力と収益性を有していて、そのソフトな表現力を使って法人としてのビジョンも描ききっているが、私としてはどこまでいっても「話し相手」というか、「思考の幅をお互いにグワングワンと広げられる友人」というか、そんな感じの認識しかできないというのが正直なところ。
法人としてのビジョンを持っていても、それを具体に落とし込む、例えば、仲間を迎えて良いサービスを広く届け、その結果として収益も大きく生み、労働分配も十分に行い、それを再投資していくような、法人としてスケールも意識していくうえでは避けては通れない道にはなかなか踏み出せておらず、先日も業務委託として一緒に活動した人にも納得がいかずに「自分だったらこうやる」というのが先行して結局その業務委託として携わってくれた人とは離れたとのこと。
その業務委託の方だけだとサンプルとして「1」にしかならないし、それを拡大解釈するのは確率論的な観点からしてナンセンスだが、Aさんは(旧来型の意味での)「経営者」というよりは、やはり「超高級正社員」的なフリーランスとしての活動に圧倒的な優位性と得意と強みがあるように思っている。
業務委託・フリーランスとしてのプロジェクト執行や案件開拓の経験も豊富で、案件を選べる状態も作り出し、稼働管理も時間コントロールも巧みで、フリーランスとして活動するのであれば真似できる部分は大いにあるが、私の個人のビジョンとしての活動方法とは一部相容れないところがある。
Aさんのことは好きだし、「話し相手」というか、「思考の幅をお互いにグワングワンと広げられる友人」ではあるが、私がその友人と「一緒にリスクを負う」とか「身銭を切る」というところにたどり着かないんだろうと想像している。そしておそらくそうなる。
Aさんが言い出しっぺタイプではないことも踏まえると、だれか言い出しっぺがいるところに、コーチもしくはプロジェクトマネージャーとして参加することが、Aさんがが最高に活躍して納得度の高い時間や人生を過ごすことになるのでは、と考えている。
逆に、無理をして旧来型の経営者っぽいことをしても心に無理が来るだけなのではと、友人として少し心配している。勝手な心配だが。
私個人の話をすると、「ソース原理」を大いに参考にすると、
①私自身がソースとして活動する範囲やエンティティ
②別のソースがいるなかで、そのソースのビジョンを実現するためのパートナー(サブイニシアチブのソースや業務協力者)として活動に参加する範囲やエンティティ
というのが出現するんだろうと思うし、既に出現し始めています。
「ソース原理」の考え方では、誰もがビジョンを個別に持っているし、持ち得るというスタンスを取ることとなる。
私のこれまでの経験や感覚や論理思考を通してもこれはかなり納得度の高いスタンスなのだsが、上記2つ(①と②)の範囲やエンティティを区別したほうが、自分がなすべき活動や態度表明がしやすく、結果として私のビジョンも別のソースのビジョンも達成される、もしくはビジョンの実現に近づく確率が最大化されるのでは、と考えている。
私としては、①として活動するとしても②として活動するとしても、「リスクテイカー」であることはこだわっていきたいし、そうでないと自分の時間や人生の納得がかなり生まれづらい状態になる感覚がある。
過去に3社を雇われの身として経験してきたし、前職では(退職時に放棄しなければいけなかったので放棄した)ストックオプションも持っていて、行動レベルではできるだけリスクテイクする側に傾けるようなことを気質的にも意識的にも実践してきたのですが、やっぱり、リスクテイクの感覚は自分としては希薄で、「身銭を切る」とか「この人と一緒なら、やり尽くした上で、倒れるときは一緒」という感覚はなかなか持てなかった。
私が未熟が故にこの感覚が持てなかった部分はあると思う。
ただ、解決方法自体は割とシンプルに1つはあって、それは「身銭を切る」こと、具体的には、株式とか持ち分を自分で持つ、ということだなと。
人間は環境に影響を受けやすいが、私はそれが顕著な部分もあるのではと感じていて、それも含めて考えると、実は「形から入る」のが手っ取り早く、私としても納得度も高く、WhoとWhatのために最大限のパワーを発揮できるのではと考えている。
その意味で、M&Aで数十件に関与してきたことも踏まえて総合的に考えると、自分の生き方として、形式的にも実質的にも「身銭を切る」生き方しか自分はできないなと思うし、一緒に「身銭を切る」覇気を持って生きていたいなと強く思う。
本質的には、時間を投じている時点で「身銭を切る」ことにはなっている部分はあるのだが、上記の通り私は環境の影響をかなり受けやすいので、「自分の身を変動やコントロール不可なものに晒し続ける」ことを実感値としても持ち続けるには、形としても「身銭を切る」しかないなと。
私以外の方々ももし環境に影響を受けやすいのであれば、上記を発展的に実現するために、参加者の全員や多くが「身銭を切る」仕組みとして、ブロックチェーンをベースとしてDAOやそれに類する仕組みも応用していきたいなと思う。「話を聞いてほしい人」と「一緒に活動したい人」との棲み分け/ミックスもインセンティブ設計も柔軟にすることができるし、未上場株式の譲渡にかかる作業の面倒くささ、譲渡制限など制約についても柔軟に設計し、多くの人が自分にあった「身銭を切る」ことを体系的に且つシステマチックに実現していきたい。