ミッション・ビジョン・バリューと人間性
昔から、ミッション・ビジョン・バリューみたいなものはエンティティとして用いられていた概念なのか。それとも、近年になって用いられることがオーソドックスになってきた概念なのか。
もし近年になって用いられれているものなからば、昔は違った。
昔は、経済成長と個人の環境改善とが比例関係にあってある程度わかりやすかったとする。
そのときが、実は一番経済合理性が用いられたときなのではないか。
つまり、経済合理的なをすることの反映としての個人の環境改善までの道筋が見えやすいとき、経済合理的な行動に対するインセンティブが、経済合理的であることそのものになる。
一方、ミッション・ビジョン・バリューのような定性的な概念を用いるということは、
全面的に、一部を真似する
憧れている唯一の人とか、ベンチマークにしているたった1人の人とか、自分にはそういった人はいない。
これまで参考にしてきたたくさんの人たちのうち、ほんの一部を挙げるだけでも下記のような人がいる。(順不同。何において、という点についてはこれから述べることを読んでいただければわかるように、意志を持って記載しない。)
* 本多静六
* 濱口秀司
* 御田寺圭
* 島田紳助
* 太田光
* 関根勤
* ハンナ・アーレント
* J.P.サルトル
成田悠輔 × YAMAP 春山慶彦の動画
この前編・後編の2つの動画について何度もコメントや考察を書こうと思ったのだが、なかなかまとめることができていない。
正直、今回はこの動画を見ていただくこと自体が最も効果的な伝達となるのでは、という一部の逃げの論理を自分に対して言い聞かせながら、乱暴に、動画2つを下記に記載することで記事投稿とする。
是非是非見てほしい。
人間が自分たちのコンフォートゾーンを作り出し、その切り出した中に自分たちを置き続けることで、自分たちが盤石であるようなシステムを持っていたり、盤石な身体を持っているような錯覚を起こしている可能性がある。そういったこと、自然と触れ合って学べる確率が高いことにもっと触れる表面積を持ってもいいと個人的に思ってきたし、それを明確に言語化はできていなかったが、この2つの動画でそういったないようのことを豊かな表現で2人が語っている。
※合う人と合わない人がわかれるかもしれないが、『半脆弱性』というニコラス・