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「ハードシングス」について

「ハードシングス」について

ハードシングスを美談っぽく語る風潮が強く、特に承認欲求高めの創業者・代表がいる会社だと「そこからここまで来たぜ!」という発信がされるケースが圧倒的に多い。

ハードシングスは避けられないものかもしれないし、今回のコロナみたいに外部要因でいつくるか分からなかったものが来た、ということもあるかもしれない。

でも、組織崩壊系のハードシングス含めて、概ね、「経営が下手」が故にハードシングスに陥っていることもあることは見逃してはいけないし、全部一括りにハードシングスとかって言わないほうがいいしもしくくっていたら大雑把すぎる表現である。

組織崩壊してから「ここまで来たぜ!」って主張・発信しているデザイン系の上場企業が日本にあるけど、その組織崩壊を引き起こしても創業者・代表が変わらずに代表を努め続けているという、ガバナンス体制についてはどこか彼方に忘れられ、そこからのストーリー性を帯びさせた美談めいたハードシングスを発信して終わってしまう。それでいて、その発信を受けて記事を読んだりする読者・視聴者は、「スゲェ!」って共感したり感嘆したりしている。

もちろん、創業者が多くの株式を持っているから自分で自分を辞めさせない、という資本民主制的なロジックはあるけど、ハードシングス、経営者が責任を取るべき(だってわざわざCEOとか名乗って責任を自分で負っているんでしょ?)ハードシングスに対して、美談しか発生しないのは不健全で間違っていると思う。

そのハードシングスによって傷ついたりする人もいるなかで、それを創業者・代表があとから語るストーリーの中で捨象して忘れ去ってキレイになったように見える今の立場からのみ語るのは、どうかと思う。私だったら絶対に関わらない。

勝手にハードにしている自分に酔ってる場合か?何に責任を負いたい?そもそも責任を負いたいのか?