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逆境克服物語は好きじゃない

逆境克服物語は好きじゃない

「学歴はないけど社長になった」とか「親がいなかったけどここまで来た」とか「貧乏だったけどここまでのし上がった」とか、そういった一見して逆境だったような環境から脱したり、実際の逆境的な環境から脱して他の人から評価されやすい尺度での上の方に位置したりとかっている物語を言う人もその物語自体も、私は個人的には好きではない。

SNSで投稿すればインプレッションが得られ、ブログにしたらPVが得られ、何かしら引用され、時には人を惹き付け、時にはお金を惹き付け、そういった多ければ多いほど評価される指標群がポジティブな方向に振れることが多いように思う。

人間の脳みそは物語製造装置で、物語が大好きで意味づけが大好きだから、共感とやらに到達してポジティブな反応の具体として、いいねしたり引用して紹介したり投資したり投げ銭したりとか、そういった行動を引き出すことになることも多い。

けれど、その逆境克服物語を発信している人が次に言い出すことの多くが、「私にできたんだからアナタにもできる」という帰結である。

この点に私は納得行かないことが多いし、納得しようがない。

「あの人ができたんだから私にもできる」と感じる習性は人間にはあると思うし、例えば日本だと東大は起業家輩出のためのプログラムや授業を展開して実際に起業させたりすることで、「隣の(大したことないと感じていた)人が起業してどうにかなっているんだから私はもっとできるでしょ!」というノリが醸成され、実際に起業に至る人がたくさんいる。渋谷や五反田などの地域は、起業する人が多いことやスタートアップ企業の雰囲気があることで、五反田は「五反田バレー」を銘打って地域レベルで「五反田で起業しよう」とか「五反田で起業熱を感じよう」とか「五反田でスタートアップしよう」というような行動を引き出すこともある。

要は、周りの環境に影響されて自分もその環境に染まる、というある種の洗脳や、自然な行動だと感じさせ、ある意味での勘違い(良い勘違いであることもそうでないこともある)から行動を起こすことがある。

けれど、トランス状態が楽しいとかそういった感覚は私もわかるが、「あの人にできたんだから私にもできる」とか、「私にできたんだからアナタにもできる」という論理は、ほとんどの場合は論理的には成立していないし、私のポリシーとしての「自分に素直でいる」ことからほとんどの場合は反しているように思うので、自分のことを知って変容し続ける前提で、本当に心が傾いているのかは観察したほうが良いと考えている。

もちろん、勘違いして行動したことから学べることもたくさんあるし、マッチング理論的には自分のことをたくさん試して自分とコトの良いマッチング場所を探すことにやかなり役立つことは知っている。

ただし、「合わないことで無理をし続ける」ことにまで至ってしまう場合もかなり多いのが現実であると捉えている。合わないことに手を出す事自体はマッチングの初手としては経験すべき部分もあるが、それをあまり意味なく続けてしまうケースも多い。

なぜなら、そもそもあまり思考しないで手を出しているわけ、環境に流されて手を出しているわけで、撤退基準やマッチング適性のようなものを、実際に行動してからもあまり考えていないことが多いからである。

その適性がない状態で、(これはかなり多いパターンだと思うが)「根性論」や、もっといえば「健康だし続けられるっしょ」というノリだけが続いていることがある。

根性論が悪いとは全然思っていない。「起業は根性だ」という元Gunosyで現在はLayerXの代表を務めていらっしゃったりと活発に活動されている福島良典さんの発信には納得できる部分も多い。気になる人は是非下記のスタタイの記事を読んでほしい。

起業は根性だ
今日もちょうど、僕の母校でスタートアップのお話をするというのがありまして。幸運なことに毎年呼ばれているんですが、来年はとうとう呼ばれないんじゃないかという講義をしてしまって。毎年頑張って話すんですけど、今年はとうとう「起業とは何ですか?」と聞かれても「根性です」と。 他にもいろいろ質問いただいてたんですよ。「ビ

起業は根性かどうかは最終的には私にはわからないが、起業に限らず、outside the box thinkigやget out of your comfort zoneを意識し、自分を試しながらも、そこから学んだ自分の静的・動的な習性も捉えつつ、無理に「逆境物語」に侵食されなくてもいい人はかなりの数いるはずだ。