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入門レベルからの脱却と捨象

入門レベルからの脱却と捨象

いろんな分野の入門書を読むのは面白いし、最近読んだ本だと『現代思想入門』は非常に面白かった。

世の中の抽象概念の1つの結晶として展開されている「哲学」についても、「これまで哲学に興味が無かった人にもわかりやすく」云々という本がたくさん出ている。


哲学の入り口が広がり、裾野が広がり、概念展開が進むことについては私は肯定的である。


一方、一定以上の抽象度での思考ができない人にまで、これまで人類が蓄積してきたものの多くを理解させようとする試みが合理的なのか日については甚だ疑問だ。


一定以上の抽象化思考、概念思考ができない人は、諦めるというのも、必要なことだと個人的にはかんがえている。


なぜなら、抽象度を落とし、具体的で汎用性が低い事例や言葉遣いや表現をすることで、本来抽象的な表現によってこそ成立した論理などが追いやられ、一言でいうとレベルが落ちて本質から遠ざかることになってしまうからである。そういう話、具体的で平易な表現での話は、わかりやすさ、あるいはわかった気になる確率は上がるが、それで本質に近づけるわけではない。むしろ、わかった気になって思考停止し本質にたどり着かずに終わってしまう人を相対的にも絶対的にも増やすことになる。つまり、レベルを落とすとそれで終わってしまうということだ。


だからそうならないよう、一定以上の抽象化思考ができない人は置いてけぼりにする、ということを通して、どうせ一部の人しか理解できないことはその人にある程度は社会的にも任せておけばいい、というバランス感覚は必要なことだと考えている。