純粋な善意と多様性を持って支援できる人なんてほとんどいない
事業部としてどうか、ということを相談したことはあるけど、自分のありたい姿とか生き方について相談した人は会社組織には1人もいない。
自分がオーナーシップを持っているから、というのもあるし、自分が相手を信用できていない、というのもあるし、純粋に相手にその善意と多様性がないから相談しようがない、というのもある。少なくとも今の私はそう認識している。
特に、人に同期通信で頼ったりせずとも、本と自分だけの向き合いなど、オンデマンドな深いコミュニケーションをできる媒体は世の中にいくらでもある。その1つが本だし、論文だったりもするし、ブログでの自分のアウトプットだったりもするし、生成系AIだったりもするし、アートだったりもする。加えてもちろん人もいるが、人以外の選択肢も豊富にあること、それらを使いこなせるリテラシーを身につけてきたし、それこそが教養と呼ばれるものの1つがなのではないかと思う。
(私自身の絶対的な基準や尺度としては教養があると言うには個人的には到底自信がないが、相対的な意味では、多くの分野にアカデミア・ビジネス・システム的にインプットしてきたとは言えると思っている。)
また、相談というかたちを取らなくてもいい。自分が投稿した内容にたまたま反響して違う角度からお声がけいただくこともあるあし、自分が相手の発信に反響してこちらから声をかけることもある。これはもう縁とタイミングとしか言いようがないものでもあるが、そのアンテナとアクティブな姿勢(数を打つ)ことは保っていきたい。
また、人と話していて相手が頷いていると、相手が自分のことをわかってくれているような錯覚を起こすことがある。これは誰しもそうだと思う。ただ、これによって錯覚が行き過ぎると、オーナーシップを相手に委ねてしまい、自分のことをわかってくれている(と自分が錯覚している)相手に自分のことを決めてもらいたくなっていく傾向が強くなる。これはもう、私からしたら生きることを放棄していっていることと同義なのである。
思うに、コンサルタント、特に経験年数の長いコンサルタントはこの傾向が強い。コンサルタントは、最終的に何をやるかは顧客が決める。そしてそれによって自分の評価も概ね決まる。また、尺度が経済合理性しかないこともしばしばある。こうなると、多様性を自分の尺度に内部化することや、学びを通じた自分の個性的な尺度を持つことは常に劣後され、その劣後を促す環境に染まり続けた人は、その環境に負け続ける。
※ここで言う「個性」は「他者と違う特徴的な性質」ではなく、「自分がインプットと処理とアウトプットとアウトカムを通して経験的に且つ思考を通して構築された自分の性質」を意味する。
私は「独立」を、依存先を増やせることと定義している。ただ、依存先をたくさん抱えられることと、依存しているだけの関係の関係が多いことは、同じように見えて決定的に異なる。それは、オーナーシップの観点で異なる。依存先を増やせることは、主体性や能動性の結果であり、ある依存先がなくなっても自分の軸は保てる。一方、依存しているだけの関係の場合、顧客の尺度が自分の尺度となるため、参照先が常に不在の状況となり、その依存先が無くなった場合は、唯一の尺度であった顧客の尺度すら参照できなくなる。これは、依存先を主体的に増やせていることにはならない。それが複数あっても、ゼロに自然数を掛け合わせているだけで、その自然数がどんなに大きくても(=依存先が多くても)、掛け算の結果はゼロのままである。
まとめると、(実存主義的な意味でも、構造主義的な意味でも。環境に自分が左右されることを否定するわけではなく、環境自体も自分の構成要素であり、自分も環境の構成要素であるという意味で)自分の尺度があるから依存ができるのである。依存しかできないことは、尺度が無いことと同義である。その意味で、自分の尺度を持つことが、オーナーシップを持つことに他ならない。
最初に「純粋な善意と多様性を持った支援」と書いたが、そういったことをできるには自分の尺度を経験的に内部化してきたことは必須だと考えている。そうでなければただの頭でっかちの知ったかぶりの分かったぶりのクソである。過去の自分がそうだったからこそ、善意と多様性は自分として生涯を通じて毎日積み上げていきたい。特に、自分が選んだり構築した環境と自分とを同一視しすぎると、「組織のために!」とか「チームのために!」という論理が優先されすぎ、結局は環境への依存度が高くなり、自分の利害よりも環境や組織の利害を優先することとなり、そうして善意や多様性というものが個人として失われていく。スタートアップではそういった場面が特に多い。だからこそ相談できないわけだが、例えば会社のフェーズ・事業のフェーズ・組織のフェーズが変わったときにある人間が適しているかどうかというのは判断が分かれるところである。そのなかでも、会社のフェーズとその個人のフェーズ(ライフステージ)がマッチしていないのなら、善意と多様性を持っている人間なら率直にそのマッチしていない点をフィードバックすることになるはずだが、依存度が高い個人、特にフィードバックすることとなる場面が多い上司のような存在は率直なフィードバックができなくなっていく。何よりも、それに気がつくことはその上司個人単独では難しく(なぜならその個人が自分の尺度がないからである)、組織としてもそのほうが都合が良いゲームのルールとなっている場合も多い。そうなると、もうゲームのルールを強化する方向に進み続けるしか力学的に働きづらく、強化されると更に率直なフィードバックが個人レベルでも組織レベルでも難しくなる。
最大化を志向するゲームを行う会社としてのM&Aクラウドを理解した上で私は2020年1月に入社したが、3年半の月日を経て、上記のようなことが起きていくだろうという仮説は私としては確かめられた。過去に経験した2社も、私がいた期間自体は1年未満と短いといえば短いが、組織の中で絶妙に個性を失っていき、尺度が狭くなっていき、実はそれをその当人も望んでいない、という状況は極めて再現性高く発生している。
こうした再現性の高いヒト・組織の性質があるからこそ、ゲームのルールを整備し、文化に初期段階から投資することが望ましいと私としては思っているし、これから自分たちが作っていくコンテキストはそのようにしていく。