成功の秩序化の限定性
目的が狭くコントロール可能な部分が大きい場合、『失敗の科学』のなかで記述されているよう航空業界のように秩序を創るのが合理的。他方、目的が可変でシャープとも限らず、目的に対して方法論も無数に考えられるような状況では秩序化は概念的・虚像的なキレイゴトでにしか過ぎないかもしれない。
成功の方程式とか、幸福の方程式とか、いろんな本が出回って「良いとされる結果や在り方の秩序化」を主張していることと、私含めて人々がそれに対してついそそられてしまう部分があるという意味で、需要と供給は成立している。ただし、それが本質的なのかはまた別に話と言える。
成功方法の秩序化は、それ以外の成功の定義を弾き飛ばす論理を含んでおり(=方程式からの逸脱を論理的に許容できない)、また成功に再現性がある、もっといえばどんな場面でも通用するような方程式とか方法論があってそれを自分が操れる、という認識バイアスを強める確率が高い。「これさえやっていれば大丈夫だ!」という感覚が醸成され、それを強化するような都合のよう情報を自分が集め始め、自分の感覚に反するような情報を意識的か無意識的か捨象していってしまう。
航空業界のように、人々を安全に目的地まで飛ばし、それを燃料とか飛行機の減価償却費とかパイロット人件費とかを上回る経済合理性で実現する、というかたちで、極めて目的がシャープで限定的な場合、『失敗の科学』で書かれているようなリバースエンジニアリングや失敗から学んだもののシステム化や秩序化が極めて有効なアプローチ方法となる。
そうでないケース(つまり世の中のほとんどの物事だと思われるが)では、失敗や成功の方程式化、秩序化をやりすぎると、本来は絶えずリバランスを繰り返しながら多様性と望ましい答えを探り出すプロセスを弾いてしまう可能性があるため、過度な体系化については常に注意が必要だと考えている。
ビジネスの場面では、最終的には「何を投入したら何がどれぐら返ってくるか」ということが明らかになっていることが望ましいとされる。KGI、KPI、KDI、ROIなどの用語はそれを肉付けするための概念であり考え方としてほとんどすべての企業で用いられている。これは、その概念の汎用性の高さの裏付けとも取れるが、そもそもで考えると、失敗しないため、あるいは成功するために、デジタルに0か1で判定可能なわかりやすい指標として用いて、そこに含まれない様々な指標や価値観を捨象するために存在している側面が往々にしてある。要は、わかりやすさの優先だ。
わかりやすさを優先し、時には最優先し、それに固執してほかの多様なアナログなもの、曖昧なものを捨象してわかった気になると、成功や失敗の方程式自体の動態的変化の必要性を見逃してしまい、外部環境や内部環境の変化に対応できず、命が途絶える確率が上がる。
以前、とある先輩が「世の中はすべてバランスのなかにある」という表現を使っていた。この「すべて」ということについては私はいまもピンときていないしそうではないんじゃないかと思っているか、「世の中は概ねバランスのなかにある」というバランス感覚は持ち続けたいと思っている。