ナレッジトランスファーと学習の種類
属人的に溜まっているナレッジなどのトランスファー(ナレッジトランスファー)を概念レベルでやろうとしている会社は結構あるが、
* 個人学習
* 組織学習
の2つがごっちゃになっていることって多いなと感じる。
上記2つはMECEではなく被りが多分にあるが、個人から組織へのナレッジトランスファーを意識的にしない限り、組織学習ではなく個人学習がなされるだけで、組織へも移転は達成されていない実情を多く見ている。
Aさんという特定のナレッジ保有者から、ナレッジを学習する個人であるBさんに移転されても、Bさんと一緒に組織を構成するCさんとDさんとEさんも一緒に学習して手を動かして実感を得ない限り、学習主体は組織ではなく個人になってしまう。
これをやっても、Aさんが抜けたあとにBさんが抜けたら、またナレッジトランスファーが課題になる。組織学習しないことによる課題が再生産される。
またそういった組織は、学習できなかったこと自体を学習できるメタ認知もできていないことが多いので、
誠実の輪を広げたい
自社の正社員かそうでないかすごく隔てる会社って、いざというときにクリティカルだけど納得感のあるコミュニケーションが取れない。
自社の正社員のするほうが、契約交渉を頻繁にしなければいけないほどにフリーランスと比べるとコミュニケーションコストは下がることはあるけど、それはコミュニケーション能力を上げることにはほとんど寄与していない、もしくは現状維持か下がっている可能性もあるので、自社の正社員にも説明ができない。
私がいたスタートアップも関与させていただいたスタートアップも、額面給与とストックオプションとを組み合わせることに頭を使うべきというのが私のスタンスですが、ブラックボックス的説明しかせずに正社員雇用して、ストックオプションは後出しジャンケン的に付与しないと決める会社も想像以上に会ってきたし見聞きもするけど、そういう不誠実な企業は、対外発信はキレイゴトで中のことを正確に把握していない、もしくは把握することを諦めている経営者が発信していることがほとんどで、まじでカオス。
いずれ、定常的な組織変容ができないので、組織崩壊するか、課題意識を持った人が組織「変格活用」
コミットメントの具体的な観察方法の一考察
正社員をやめる前もやめた後も思うが、会社への愛着やコミットメントがあることの具体的な観察は、
* 会社に対してNoと言える
* 仲間に対してNoと言える
* 自分に対してNoと言える
ということで可能だと思っている。
Noって言うの、普通に疲れるわけである。特に問題意識が沸々と浮かんでくるようなタイプではない人からしたら。私は言っちゃうタイプだったし今も結構そうだが。
でもその、疲れるけれども自分のこと以外のことも視野に入れて、ある種行動や思考を広げて提案している人ほど、会社に対して愛着やコミットメントがある人なんて他にいるだろうか。
文脈理解も伝え方も伝えるタイミングも観点も、私は全部盛大にミスったことがあるのでその点は建設的ではなくて申し訳ないなと思っている。
ただ、Noと言う癖があったうえで軌道修正していく(=文脈理解して、効果・
全面的に、一部を真似する
憧れている唯一の人とか、ベンチマークにしているたった1人の人とか、自分にはそういった人はいない。
これまで参考にしてきたたくさんの人たちのうち、ほんの一部を挙げるだけでも下記のような人がいる。(順不同。何において、という点についてはこれから述べることを読んでいただければわかるように、意志を持って記載しない。)
* 本多静六
* 濱口秀司
* 御田寺圭
* 島田紳助
* 太田光
* 関根勤
* ハンナ・アーレント
* J.P.サルトル
「課題の分離」と「人間のロマン」
以前、フリーランスとして活動している人に、「フリーランスで大きな課題に向かっている人はいるのか?」という質問をしたことがある。
その人の答えとしては、ある、とのことだった。
回答の内容としては、彼のある知人は、自分で会社やりつつも、他の会社のNo.2としてのポジションを、外から入って確立してコミットしていて。その会社で骨を埋めるつもりでやるが、最悪それが失敗しても仕方がないとしている、とのことだった。
それに対して私が考えたこととしては、最悪失敗してもいい、というところの感覚は、課題の分離の観点では妥当に見えなくもない、
日本のタクシー王子
日本やばすぎないか?
私の出身大学の先輩で、私の大学の卒業式(2018年3月)にスピーチしに来た日本交通の川鍋一朗氏が、「世田谷区の細い道を全部自動運転するには30年はかかる」という発言をしている。
タクシー業界のボス、日本交通の川鍋会長「自動運転は30年かかる」タクシー大手・日本交通の川鍋一朗会長が「世田谷区の細い道を全部自動運転するには30年はかかる」との考えを示して自動運転ラボ下山 哲平
利権とか法律とか技術とか事業とかプレイヤーとかいろんな要素が絡んでいるとはいえ、運転技術はすでに人間よりも自動運転によるほうが優れていて、あとは量産体制と法律の問題がほとんであるなか、日本の隅々まで自動運転が行き渡るのが30年かかるのはやばすぎる。
当然、
自分の適性とペース
自分の体調が良いと、自分が70~80点以上をコンスタントに取り続けることができる性質を持っているような気がしてくる。
でも何度でも言おう。自分はそうじゃない。
思想すら持ち出して150点取ることもあれば、体調不安定からマイナスを取る可能性も現に何度も発生させている。自分はそういう人間だ。
M&Aアドバイザー、新規事業コンサルティング、ITコンサルティングというクライアントワーク型の仕事をそれぞれ異なる視点で取り組んだ経験が自分にはある。
そこで、やはりというか、自分が感じたことは、クライアントワークは、コンスタントに点が取れる人のほうがいいしそういう人を連れてくる必要が、自分には明らかにある。
また、
逆境克服物語は好きじゃない
「学歴はないけど社長になった」とか「親がいなかったけどここまで来た」とか「貧乏だったけどここまでのし上がった」とか、そういった一見して逆境だったような環境から脱したり、実際の逆境的な環境から脱して他の人から評価されやすい尺度での上の方に位置したりとかっている物語を言う人もその物語自体も、私は個人的には好きではない。
SNSで投稿すればインプレッションが得られ、ブログにしたらPVが得られ、何かしら引用され、時には人を惹き付け、時にはお金を惹き付け、そういった多ければ多いほど評価される指標群がポジティブな方向に振れることが多いように思う。
人間の脳みそは物語製造装置で、物語が大好きで意味づけが大好きだから、共感とやらに到達してポジティブな反応の具体として、いいねしたり引用して紹介したり投資したり投げ銭したりとか、そういった行動を引き出すことになることも多い。
「ハードシングス」について
ハードシングスを美談っぽく語る風潮が強く、特に承認欲求高めの創業者・代表がいる会社だと「そこからここまで来たぜ!」という発信がされるケースが圧倒的に多い。
ハードシングスは避けられないものかもしれないし、今回のコロナみたいに外部要因でいつくるか分からなかったものが来た、ということもあるかもしれない。
でも、組織崩壊系のハードシングス含めて、概ね、「経営が下手」が故にハードシングスに陥っていることもあることは見逃してはいけないし、全部一括りにハードシングスとかって言わないほうがいいしもしくくっていたら大雑把すぎる表現である。
組織崩壊してから「ここまで来たぜ!」って主張・発信しているデザイン系の上場企業が日本にあるけど、その組織崩壊を引き起こしても創業者・代表が変わらずに代表を努め続けているという、
人生のインターバル期間について
定期的にでも不定期にでも、社会からいなくなってしまう感情は発生していいし、インターバル期間とかは設けていい。もし迷ってるなら、助けになるか分からないけど私が肯定する。
「社会復帰」という言葉があり、身体的だったり精神的だったりでブランク期間があったり、日本だと平均して22~23歳以降に会社など組織で働いていない状態から組織で働き直すことを指しているが、社会も復帰もどちらも概念であり幻想だ。
その社会が指しているのは、マジョリティとしての労働の定常性であり、人間は一定の年齢の期間は組織で働くものだ、という価値観だ。
私は、日本での標準というか普通にというか、幼稚園から大学まで年齢の通りにストレートで学校という小社会にいた。
ただ、一般に言ういわゆる社会人になっても、